新たな視点で公共交通のあり方を考えるblog

少子高齢化、コロナ禍などの影響もあり、公共交通のあり方が今大きく問われています。そこで、独自の視点で今後の公共交通はどう有るべきかを考えていきます。

政治家を目指すblackcatこと加藤好啓です。
これからの時代を考える時、地方政治も従来のような指示待ちの姿勢ではなく積極的に地方行政が積極的に住民と一緒により住みやすい町を目指すべきだと考えています。
そこで、まず私自身の考え方を知っていただきたく、こうしてblogで政治的信条や政策を提言させていただく所存でございます。
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高速道路が有れば観光客が増える?

〇〇が有れば活性化すると言う幻想

SNS等で地方を活性化するには的な話の中でよく出てくるのが、高速道路が有れば地域は活性化するんだと言う意見、もちろん、個人に限らず市役所などの政府への要望などでもよく出てきます。
高速道路が無いから観光が活性化しないとか・・・高速道路が無いから特産品を町に運べない・・・もしくは、高速道路が有れば都市部から大挙して観光客が押し寄せて特産品などを買ってくれたりしてくれる・・・と言う意見が有ったりします。
果たしてそうでしょうか?

高速道路が有れば観光客が増える?

高速道路が有れば本当に観光客が増えるのでしょうか。
仮にその方がドライブが趣味で高速道路を使って色々な場所に行くのが趣味と言う人であればそう言った理論も成り立つでしょうが、多くの方はそこまで高速道路に乗って大挙して観光に行くでしょうか。
仮に高速道路が開通すれば多くの観光客が毎日大挙して訪れるのであればどの地方も活性化しているはずですよね。
でも実際には・・・・
高速道路が増えても魅力ある観光地が無いと人はやってきません。


さらに、勘違いしているのが鉄道と比べれば単位輸送量は車は小さいと言うことです。
観光バスも最近はゆったりしたタイプも増えているので以前は40人程度でしたが、最近は32人程度になっています。
鉄道はどうでしょうか?
クルージングトレインのような列車は別格ですが一般の列車では特急列車で概ね60人程度、6両編成であれば360人を同時に運ぶことが出来ます。
バスであれば12台の輸送量です。
バスであれば最低12人の運転士、距離によっては更に倍の人数が必要になります。
鉄道の場合も途中で交代が必要になりますが3人程度で済むでしょう。
言ってみれば、鉄道の利用者の方が観光地に観光客を運ぶのであれば有利だと言えないでしょうか。
言ってみれば、高速道路が有ればすべて解決と言うのは本格的に観光を目指すのであればむしろマイナスだと思います。

自然が豊か・・・それだけでリピーターに成り得るだろうか

自然が豊かですよとか、何もないのが魅力ですよと言われてどれだけの人が何回も訪れてくれるでしょうか。
世界遺産に登録されたからと言って熊野古道がどれほど賑わっているでしょうか?
世界遺産に登録された石見銀山、さぞや多くの観光客で賑わっていると思いましたが、・・・閑古鳥が鳴いている。
大規模な箱モノの施設もあったが肝心の銀から離れており広大な駐車場は遊ばせているばかり・・・これでは自然を破壊して作った意味がどれ程あったのであろうか?
翻って、USJなどは毎年何万人と言う集客を誇っている。
結局は、自然の風景が良いですよ・・・それよりも、楽しめる乗り物がある。
美味しい食事とおしゃれな店がある・・・そうしたことが集めやすいわけです。
少なくとも、そこに行かないと得られない‥‥そういったものが無いと人は足を運んでくれません。
それも、ニッチではなくある程度マスで考えてやる必要はあるでしょう。
1000人のうち10人ほどしか興味が無いものを売り込むのではなく、せめて1000人のうち300人なり500人が一度は言ってみたいと思うようなコンテンツが無いとリピーターを獲得するのは難しいのではないでしょうか?

夕暮れが美しい・・・それだけで人は集まるのだろうか?

しかるべく仕組みが有って初めてリピーターは出来る。

例えば、神戸や京都
誰でもが観光地であることを認識していますし、京都などでもお寺では外国人の方が多かったりします。
また、大阪でもミナミと呼ばれるなんば界隈を中心に台湾人・中国人・韓国人も多く、カオスな街がさらにカオスになっているという印象すら与えてしまいます。


「再びそこに行きたい」という雰囲気があってこそ町が活性化すると考えます。
そこに行けば、そこの街のアイデンティティと言うのかな、地域としての特性、個性と言い換えても良いかもしれませんが、「そこにしかないもの」というものが大事になってくるのではないでしょうか。
神戸であれば、メリケン波止場を中心とした「港」並びに「旧居留地」がその中心に有るわけで異国情緒を高めてくれるものが有るわけです。
京都はそうした意味では、町全体があらゆる意味独特の雰囲気を持っていますね。
翻って、地方都市の場合どうでしょうか。

アドベンチャーワールドは一つの個性

和歌山に目を向けてみますと、白浜のアドベンチャーワールドがその個性で一人気を吐いているように考えられます。

もちろん、円月島も千畳敷も、三段壁も観光地として昔から著名ですが、景色だけなら1度行けば何度も行こうとは思いませんし、今はネットの普及でそれこそ著名な観光地などはライブカメラやストリートビューで疑似体験まで出来てしまうわけです。

円月島(高嶋)

画像 wikipedia

三段壁

画像 wikipedia
ということはわざわざ足を運んでいこうとまでは思わないわけです。
それならばどうするか。


やはり、そこに行かないと出会ないとうことが重要な要素になってくると思います。
その辺では、アドベンチャーワールドのパンダは大きな要素です。
環境もあっているのか、新しい子パンダも生まれるし・・・。


だからと言って、他の都市部でも同じようにパンダを含めた大動物園を作れば人が集まるかと言えば答えはNOです。
結果的にまねごとに過ぎないから。

地方の活性化には体験型施設&滞在型施設を作ると言う発想

私が、地方の行政を司る長であれば、体験型施設を既存の施設を改修してもしくは民間の知恵を借りて古くなった旅館などを活性化させるために使うでしょう。
例えば、南高梅で有名な南部地区であれば季節的には限定されるかもしれませんが、梅干しを実際に作るための体験ツァー(梅の収穫コース・実際に梅干しを作るコースと言った具合で参加者を募る。)
そこで、実際に参加してもらった人には自分が作った梅干を受け取ってもらうという仕組みを作ってしまう。


農業労働力が不足気味であることを逆手にとって、観光体験として若い人たちは外国人にも体験してもらう、そこで実際に梅の実を収穫して貰ったりしてその代価として自分が作った梅干しを完成したら送るといったものです。


労働力の解消と体験型リゾートを経験してもらうことで新たな発見をしてもらう。
場合によっては滞在型として3日なり5日程度連泊なんてこともあって面白いのではないだろうか。
当然連泊日数が多い人には多めに成果物を渡すという工夫も必要になるかもしれない。
こんな風に、既存の施設を活かしながら体験型観光は都市部では中々真似のできない観光の方法の筈だし、それと合わせて6次産業の開発などを産官連携でと入り組んでいけば、新たな産業も起こせるのではないでしょうか。

高速道路はあくまでもハードに過ぎない

最初に書きましたが、〇〇が有れば…今回はこれに高速道路とうキーワードを当て嵌めてみましょう。
高速道路が有れば特産品を買いに来てくれる、もしくは高速道が有れば大都市部に特産品を運べる・・・確かにハード的に考えれば正解です。しかしソフト的に考えれば答えは間違っています。


考えてみてください、特産品を買いに来てくれる・・・可能性であって、そこに魅力的な特産品が無ければ買いますか?


むしろ、誇れる特産品や加工品があるのであれば積極的に通信販売すべきです。


大都市部に特産品を運べるといっても、その特産品を買ってくれるマーケットが無ければ意味が無いですよね。


むしろ、観光客が足を運びたくなるような仕組みを作るのが大切なのではないでしょうか。
そして、その為には既存の鉄道などとも連携を図りながら地元の足元を固めていくことが大事なのではないでしょうか。

ふるさと納税と地方自治

激化するふるさと納税返礼品

ふるさと納税による返礼品が激化している、時には下記のサイトにもあるように、殆ど自治体としてはメリットがないのではないかと思われるものも現れている。
これは決して健全な姿とは言えないのではないでしょうか?



96%の還元率の自治体は、なんと・・・大阪府泉佐野市だったそうですが、ここでの返礼品は、「鹿児島県、宮崎県、三重県、兵庫県などで採れた国産黒毛和牛を、どんと1,5kgもらえます。」※産地は選べないようです。届いてからのお楽しみですね!」
と書かれていますが、これはふるさと納税の主旨から考えていかがでしょうか?


これで泉佐野市にどれほどのメリットがあるのでしょうか。
送料を含めたらもしかしたら、納税額以上に負担していることにならないでしょうか。
泉佐野市は、関空関連の建設でも過剰な投資をして一時期財政再建団体に陥ったと記憶していますが・・・これが健全な姿と言えるのでしょうか。
本来は、ふるさと納税の返礼品は、地元の産業育成と言う観点から考えてもわざわざ、「鹿児島県、宮崎県、三重県、兵庫県などで採れた国産黒毛和牛」を自治体が送ると言うのは理にかなっていないような気がします。
この辺は、おそらく宮崎県の都城市が年間で34億円の寄付金を集めたことからの発想かと思いますが。本末転倒ではないでしょうか?

ふるさと納税は市民の好意

総務省も、返礼額は30%以内に抑えるようにとの通達を出していますが、その辺を含めて今後はどのような展開をしていくのでしょうか。
安易な返礼品を送るだけの制度では飽きられてしまえば次に続かないと思いますし、現在の過剰な返戻金競争を見ていますと、明治時代に鉄道会社がサービス合戦をして乗客を取り合った、そんなことを連想してしまいます。
互いに体力勝負で値下げ競争に走り・・・最後は体力がある会社が残り、その後は今までの損害を補填するために値上げするも今度はそれ以外は利用する手段が無いのでそのままそれを受入れざるを得ない・・・
結局過剰な返礼競争は、自治体を疲弊させるだけであり、自治体も安易に返戻金競争に加わるべきではないと考えます。
ふるさと納税制度は、市民の好意であることに間違いはありませんが、安易な発想で返礼率を上げればいいと言ったことをしているとその後手痛いしっぺ返しがあるといえるのではないでしょうか。

ふるさと納税による寄付金をどのように活用するのか?

現状では、ふるさと納税の寄付金を使って子ども園の無償化などに踏み切った自治体や、子供の医療費(高校まで)無償化の財源に使っているという自治体もありますが、これは本当に大丈夫なのでしょうか?
寄付金と言う位置づけである税制であるため、納税者がその納付先を変えてしまえば当然のことながら税収としては入ってこなくなります。
寄付金が毎年一定額必ず入ってくると言得ないわけですから、その辺を含めて考えれば、個人的には、ふるさと納税のように毎年の定量的に測れる税収でないのでそれを反固定経費的なものに投入すべきではないと考えます。


子供の医療費などにふるさと納税の寄付金を活用すると結果的に、今度は寄付金が減少した時に財源がないと言う問題になってしまうかもしれません。
私ならばその資金を例えば、地元で新たなふるさと産品を開発するために使うでしょう。
その地方の特産品を返礼品として送っているのであれば、例えば肉牛を送っているのであればそうした酪農農家などへの更なる事業拡張のための資金貸付の原資にするとか、新たなふるさと産品開発などに投資する。
所謂自治体による地方経営を本格化させていくことを考えるでしょう。
もちろん、医療費助成なども悪い施策だと言いませんが、そうして一生懸命頑張って子育てしてもらっても、町に産業が無くてやはり出ていくとなれば本末転倒です。
それならば、町に何時までも住み続けることが出来るような産業を興すことが重要になってくるのではないでしょうか。
そのためのふるさと納税で集めたお金を使うほうがより生きてくるのではないでしょうか?

政治とは誰のためのものか?

民進党離れが止まらない?

都議会選挙をにらみ、民進党かを離党して都民ファーストの会の推薦を受けようという動きがあり、また党勢拡大を狙う都民ファーストの会もそうした無所属候補の議員も推薦しようという動きがあるようだが・・・
彼らは、どうしてそこまで議員にこだわるのか。
やはり、高額の報酬なのだろうか。
こうしたいわゆる、蝙蝠のような政治家と言うのはどこにも、どの時代にも存在するが、概ね大成しない。

政界を渡り歩くのはなぜ?

彼らの考え方は、政治を自分の生活の手段と考えているからではないだろうか。
だから、必要以上に議員に拘る。
民進党がダメだから、今度は都民ファーストの会に行こう・・・これは実は同じ流れが日本維新でもあった、特に「大阪維新の会」と呼ばれていた時期、橋本徹人気から、自民党から大阪維新に所属替えする議員があった他、維新ブームと橋本人気で、「大阪維新」もしくはそれらしき名前を名乗るだけで当選してしまう…そんな議員が大量に生まれてしまった。
当時の大阪維新の議員のレベルは本当に酷いもので、ドーナツ現象や、夜間人口と言った意味も理解しえず、市役所の職員が呆れたという話も少なからず聞いたものだ。
政治家になれば、取りあえず高額の歳費がある・・・そんな見識も低いままではいけない。

裏切者は何度でも裏切る

少なくとも、そうした政界を渡り歩くような人は結局は権力を得たいだけ、小池百合子氏だって元はと言えば政界ロンダリングしてきた筆頭格であり、今回も単に石原慎太郎氏が嫌いからスタートしたようなもの。
今回過半数取れても、都民ファーストの会自体が反自民の受け皿でしかないのであれば所詮はその程度で終わってしまうだろう。
そうした意味では、「都民ファーストの会」が「都民ファウストの会」にならないように都民そして、都民以外もしっかりと見据える必要があるのではないだろうか。

東京を失速させてはいけない

東京は何だかんだと言っても、日本の首都であり少なくとも東京は地方に在っては一つの指標であるべきだと考えています。
昨年東京都知事選をお手伝いさせていただいたときは、東京都知事選挙で東京は「地方のベンチマーク」であるべきだと考えていました。(私が選挙に出るわけではないので私が主張することはできませんが、東京都知事選を一言で総括するならばそうした仕組みを作れる人を選ぶべきだと言うのが私の考えでした。)
都議選、かなりの元民進党議員が都民ファーストの推薦を受けたりして立候補するかもしれませんが、政治を自分の生活の手段と考えている人々を選ぶのが、自身にとって良いことなのか今一度考えて欲しいのです。
東京を本当に元気に出来る、そうした純粋に思う人たちを政界に送り出すべきではないでしょうか。

九段の桜