政治家を目指す加藤好啓のblog

政治家を目指すblackcatこと加藤好啓です。
これからの時代を考える時、地方政治も従来のような指示待ちの姿勢ではなく積極的に地方行政が積極的に住民と一緒により住みやすい町を目指すべきだと考えています。
そこで、まず私自身の考え方を知っていただきたく、こうしてblogで政治的信条や政策を提言させていただく所存でございます。
ぜひ、読者登録をお願いします。

今こそ政治家の信念が試されるとき 人口減少に対しての方策は?

皆様今晩は、私自身も政治家を目指すと言いながら、肝心のこのblogを更新していないと何をしているのだとお叱りを受けてしまいそうです。
毎週最低1回は更新できるようにしたいと思いますが、今回は、改めて政治家の信念が試されるときと言うことで、私なりに取組みたい政策などを一つづつ提案していきます。
私が目指しているのは、地方政治家であります。
特に、地方の衰退は著しいものがあります。

和歌山市の人口減少が著しい

私自身の生まれ育った和歌山市も御多分に漏れず人口減少は緩やかに進んでいくと言われています。

和歌山市人口ビジョンから引用  平成27年10月から引用


和歌山市の現在の年齢別人口分布

和歌山市の5歳年齢階級別人口の推移



引用元 


65歳以上が多い、つぼ型になっているのは当然として、実はここでは見えてきにくいのですが、下記のような問題があります。


特に大きな問題は、女性人口の減少

和歌山市人口ビジョンでは、出産可能年齢の女性人口が今後の予測で大幅に減ることを危惧しています。

和歌山市人口ビジョンから引用  平成27年10月から引用

この原因はどこにあるのでしょうか?
和歌山市の産婦人科医が少なくて子供が生みにくい体制なのでしょうか?
そこで、少し調べてみたのですが、
和歌山県全体では全国平均よりも産婦人科の医師の数は多いので、安心して出産できる体制は整っていると言えるかもしれません。

産婦人科総医師数

産婦人科医師の地域偏在 日本産婦人科医会常務理事日本医科大学 中井章人氏の資料から引用


こう考えると、先ず今すべきことは、和歌山市に住むことを選んでもらうことが必要であることが判ります。
すなわち、働ける場所を確保すると言うことになります。


もちろん、若い女性が働ける場所と言うことだけでなく、男性も同様です、大阪なりに出なくとも地元で働ける仕組みを作っていく必要があると言えましょう。


安心して働ける場所があって、和歌山で暮らし続けることができると思うからです。

その為にどうするべきか。農業の充実という選択肢

その一つは、農業の充実にあると思っています。


遊休農地などをメガソーラ発電に転用するのであれば、よく言われるようにICTの技術を活用したスマート農業を展開すべきだし、その為の農業法人を第3セクターで設立して、就農希望者はその社員として就職、その後独立を希望する場合は、農業法人から土地を借りて独自の経営を行うこともできるし、引続き農業法人でサラリーマンとして働くこともできる。


そんな方法で地元で働ける仕組みと遊休農地を少しでも減らす努力をしてはどうであろうか。


遊休農地は、買取ではなく減反政策の補助金を活用してその土地を借り上げる形で田であれば米を栽培すればよい、ただし、単純に米を米として消費するのではなく、新しい食材としての活用を考えて新たなブランド化を図っていくことや、海外への輸出を考慮することもありではないだろうか。


非常識な発想であることは十分承知だが

人口減少でいきなり、農業法人の展開に飛んでしまって読んでおられた方も面食らったと思う。
でも、考えて欲しいのは、いくら綺麗ごとで「子育て支援します」:と言っても、財源も何もなくて、ただ耳障りの言い言葉だけを並べても実際には何もできないと言うことになりはしないだろうか。
それならば、もっと本質を見極める必要があると思うのです。
そこで、和歌山市(和歌山県)は絶対的に産婦人科や小児科の数が少なくて子育てに向かないのではないかと仮説を立てて調べてみたのです。
答えはむしろ逆で、和歌山県全体で見た場合医師の数は全国平均よりも多いことが判明しました。
しかし、人口は減少し続けていると言う事実、特に自然減よりも社会減の方が大きい傾向にあることが判ります。(グラフの単位が違うので、自然動態の方が多いように見えますので注意してください。)

まず、和歌山市の場合は若者が働ける場所を確保していくことが全てにおいて重要なことだと言えるのではないだろうか。
そうしないと、結局実現できない公約ばかりを並べる意味のない政治家ばかりが誕生する結果になると思うのです。



和歌山市中心部の空洞化をどう食い止めるか?

和歌山市の空洞化が止まらない


先日、和歌山市役所に用事があり和歌山に久々に帰ったのですが、南海電車が男里川の鉄橋支障の影響で直通列車が運転されておらず、阪和線で行ってきました。
行きはバスで、帰りは、両親の墓参りもしたかったので、ぶらくり丁経由で歩いて和歌山駅まで戻ったのですが、あまりにも和歌山市の低落傾向が止まないことに改めて危惧を感じたものでした。
平日だからと言うことを割り切っても、和歌山城前の旧市役所の駐車場には観光バスが1台のみ
これでは、あまりにも寂しくはないだろうか。
今から30年ほど前少なくとも市役所前付近にはだれかれと人が歩いていたような気がするし、ぶらくり丁を中心とした商店街には人が溢れていたことを思い出します。
しかし、先日訪問したぶらくり丁はどうだったのか?

ぶらくり丁の惨状

30年以上前はぶらくり丁を中心とした本町界隈は車線を狭くして車の流入量を減らして、人が歩けるスペースを拡大しました。
結果的には、その施策が裏目に出て逆に寂れさせてしまう悪循環を生んでしまいました。
その昔、和歌山市では一番大きな本屋だと思っていた宮井平安堂が廃業し、ビルの敷地がマンションになると言っていましたが、未だに更地のまま、他の商店も殆ど閉店しており町の活性化どころか急速にゴースト化が進んでいます。
ぶらくり丁も同じ、老人介護施設などが目立つのですが、若い人たちがチャレンジできる・・・・そんな店が無いんですね。
まして、それ以前に人が居ない。
私が20代の頃には、活気があったあのぶらくり丁はどこに行ってしまったのでしょうか。

人が居ない商店街

ぶらくり丁が特に酷いと言うことではなく、ぶらくり丁以外の地域はもっと悲惨で、いたずらに駐車場ばかりが目立ちます。
北ぶらくり丁に至っては、看板に電気が点いているところを探す方が難しいくらい・・・そんな悲惨な状況です。
本町通り側は車線を狭めて車の流入を絞った反面、築地側は従来通りの片側2車線であり、以前は違法駐車が多くて、片側1車線が詰まっている状況だったのが今は2車線とも空いている状況です。
それに、よくよく考えたら26号バイパスが開通して、尾崎方面からは今までのようにみさき公園・淡輪付近の渋滞を経験せずにそのまま、泉南まで直通できるわけです、バイパス開通前には大阪から観光客が車で押し寄せると期待していたようですが?
実際に、約20分程度ですが、26号バイパスと接続されている築地側の道路を見ていましたがほとんど車も通らない。

26号バイパスの開通は町に賑わいをもたらしたのか?


結局、26号バイパスの開通は和歌山市にどれほどのメリットを与えたのであろうか。
少なくとも朝夕の通勤ラッシュなどには車で通勤する人にとってはメリットがあったのかもしれないが、その分阪和線、南海線の利用客の減少を招いたことは否めないであろう。
以前から、高速道路を含め過剰な道路整備は町の過疎を加速させても町の賑わいを生み出さないと申し上げてきました。
その理由は、受け皿である地域に魅力が無ければより魅力ある地域に人は流れるからです。

和歌山駅と和歌山市駅の格差

JR和歌山駅


そして、もう一つ感じたのは和歌山駅と和歌山市駅の格差の拡大
和歌山駅も褒められたものではないが、少なくとも和歌山線・阪和線・紀勢本線・和歌山電鉄のターミナルとしての体裁を整えており、長らく放置状態であった「わか地下広場」も改修されているようだが官主導ではなく民間主導で運営してもらいたいと思いました。
どうしても官が主導で行うと施策ありきになってしまう傾向があるからです。

和歌山市駅

改めて思った改革の難しさ

和歌山市の場合、正直申し上げてこれが正解というものは今回も見つけられませんでした。
余りにも問題が大きすぎて複雑になりすぎているから、複雑骨折した上に全身打撲・・・そんな状態になっているのかと思われてなりません。
ただ、交通の点だけで見ても、本来であれば和歌山市の中心部により近いはずの和歌山市駅がこの体たらくではどうしようもありません、先ずテコ入れするとすれば和歌山市駅周辺をどれだけ再開発できるかでしょうか。
市民会館が伏虎中学校跡地に建設されるのであれば今度は現在の市民会館跡地はどうなるのでしょうか?

木津市場


どうせなら、再びあの場所を和歌山中央卸売市場にして、大阪の木津市場の様に観光地化して和歌山市駅からの観光客を取り込むといったことをしても良いのではないだろうか。

和歌山中央卸売市場

少なくとも、現状では駅を中心としたコンパクトシティ化を更に進めて現状の鉄道網を最大限生かせる形にしないと難しいのではないだろうか。


その上で、本町の再開発(大学の誘致が良いのか、それとも高齢者向けのケアハウスなどを中心とした終の棲家としての集合住宅コミュニティを再構築するのが良いのか。
少なくとも選ばれる町を再構築する必要があるのではないだろうか。

衆議院選が公示されました(選挙って誰のため?)

候補者が小粒になった

今回の選挙はマスコミでは3局の対立などと言われています、しかしその立候補者を見ていると小選挙区制の弊害もあって政治家自体が選対に小粒になったような気がします。
取りあえず、数だけ確保したらいから・・・・そんな議員が多いような気がします。
そして、単独だけではなく比例代表復活と言う仕組みもちょっとおかしい。
結局、風に乗った候補者が政治家としての覚悟もなく、政治家として立候補することになっている。
今回の民進党の解党並びに、希望の党の出現、さらに驚かされるのは民主党の面々の多くが希望の党に流れ込もうとしたこと。
結局「希望の党」はいわば「日本維新」と同じ風に乗って生まれた政党でしかないと言うことと考えてしまいます。

分裂と再編は有権者の不幸

政治家は、議員と言う身分があるうちは「センセイ」と呼ばれますが、落選すれば「ただの人」、だからこそ、権力にしがみ付きたいから選挙だけは必死になるんですね。
それこそ、床に頭を擦り付けんばかりに土下座して、選挙が終わればふんぞり返っているような政治家がどれ程多い事か。
さらに、今回も多くの立候補者が議席と言う椅子取りゲームを始めていますが、政党ロンダリングするような議員は正直信用できないし。
だって、「政治家になる」ことだけが目的になっている。
東大に入ることだけが目的になっているのと同じ、その後のプランが無いわけです。
例えば、「〇〇になりたい。」・・・そうした明確な目標があって、その為に必要な準備をすると言うのならわかるのですが、選挙で勝ちたいから勝てそうな政党に移動する・・・これはその人を支持するものからしても納得いかないでしょう。
結局、政治家否、政治屋の意向だけで、看板を挿げ替えられたら支援者は正直嫌になってくるでしょう。
今回の民進党から希望の党への移籍に至っては、「安倍政権打倒」これだけの理由で、今まで民進党が掲げていた考え方、「安保法制反対」とかの問題はすっかりどうでも良くて、取りあえず「安倍政権を倒せたらそれでいい」・・・みたいな烏合の衆が集まっているわけです。


こうならないとも限らないですよね。

口先だけの改革ではなく一人でもできることをして欲しい

そろそろ賞味期限が切れて来た「身を切る改革」・・・・何も改革の実績が無いのに、どの議員も金太郎あめのように口にする「改革」
いちど、議員本人の口から、私はこうした改革を自ら行ったという話を聞きたいのですが、未だ聞いたことがありません。
政務調査費を削減しますと言って公言して、選挙に通った寝屋川市議は、自民党の若手が提出した「議員報酬削減法案」に対して、維新が出した案ではないからと反対して、廃案にしたと言う話も聞いています。
これのどこが、「身を切る改革でしょうか」
結局、口先だけで何もしていないわけですよ。
一人でも、それを実践するといのであれば自ら歳費の30%なら30%を供託すればいいわけですよ。
これは、違法行為でもなんでもなくすぐできることなんです。
まして、一人でも出来ることなんです。
公正証書を書いてもらって供託すればいいわけですから、結局こうしたこともしないで、口先だけで、改革しますと言われても結局誰も信用できないわけです。
政務調査費もしかり、使わないから返納します。
または、自身の報酬から政治調査を行いましたが足りない分だけ使いました。その使用額はこれだけでした・・・みたいなことを明示すればだれでもなっとくするとおもうんですね。
如何でしょうか。

職業として政治を選ぶと言うこと

私自身は、ここでも書いていますように、「政治家を目指す」と言う方向性は持っています。
何故政治家になろうとしているのか、それは地方にあっては少しでも住民が安心して暮らせる社会を作りたいからです。
そこに、私欲はありません。
政治家になってセンセイと呼ばれたいと思ったことも無いし、「先生と言われるほどの馬鹿でなし」と常に思っております。
今後本格的な人口減少社会を迎えると言いながら結局有効的な施策を打てないまま現在に至っています。
その原因の一つに、極度の中央依存が地方にあったことも原因ではないでしょうか。
中央からの交付金を期待する、そんな傾向があったかと思います。
今後は地方にあっては、会社経営と同様経営センスが問われると思うし、さらには道州制を睨んでその時に地方自治体がどうあるべきか、州政府となった場合に例えば近畿であれば大阪だけに権力を集中させるのではなく、貿易・外交は兵庫県(神戸)通産省に相当する部署は大阪(大阪市)に、文部科学は京都(京都市)と言った具合に各地方に機能を分散させるなどといったことも考えていく必要もあると思うんですね。
そうしたことを本来政治家は考えるべきなんです。
ただ、政治家になってセンセイと呼ばれたい、政務活動費を貰って・・・そんなレベルの低い人は政治家になるべきではないと思うのです。
少なくとも、職業として政治家を選ぶと言うことで、それこそ国民のため、近くでは住民のためにどれだけ一生懸命になれるか…ではないかと思うのです。
私自身、常にそのことを意識しまた自分の中でそれを反芻しています。

加藤好啓