政治家を目指す加藤好啓のblog

政治家を目指すblackcatこと加藤好啓です。
これからの時代を考える時、地方政治も従来のような指示待ちの姿勢ではなく積極的に地方行政が積極的に住民と一緒により住みやすい町を目指すべきだと考えています。
そこで、まず私自身の考え方を知っていただきたく、こうしてblogで政治的信条や政策を提言させていただく所存でございます。
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今こそ、政治家の力量が問われるとき

敢えて聞く国会議員の覚悟とは?

北朝鮮情勢が緊迫しているなかで、野党の一部は森友学園の問題などをひたすら取り上げたり、国会審議を拒否するなど、凡そ国会議員とは思えない行動を取っていますが。
国会議員の資質って何なんでしょう?
敢えて皆様にお聞きしたいと思います。
国会議員の本質、もっと言えば国会議員の本領とでも言いましょうか。
国民の代表であり代弁者であるとともの、国益を守るために、もっと言えば国を守るために命を懸ける・・・それくらいの覚悟があるのでしょうか。
我々も戦争は望みませんが、戦争を起こそうとする国が隣にあってそれに対して対話をするのは重要ですが、並行して万が一の場合の準備は並行して行わなくてはならないわけです。
少なくとも国会議員は、そうしたことも踏まえて国の安全保障はどうあるべきなのか政府に質す、韓国に在留するであろう邦人保護をどうするのかと言った問題を踏まえて本来は議論すべきことではないのか。
戦争反対とお題目を上げることも大事ですが、「戦争というのは政治の延長である」
これは有名な、カール・フォン・クラウゼヴィッツの戦争論で言われている言葉であり、実際に武力の行使は政治の延長で有るわけです。
何故戦争が起こるのか?
それは、政治の延長上で解決できない問題があるから、戦争という暴力行為が有るわけで、子供を躾けるときに、ある程度の力での抑制が必要なように、言葉で解らない場合にはそうしたことも必要になってくる。
そうした視点が、今の一部の野党。
はっきり言います、民進党には欠けているのではないでしょうか?

民進党議員は猛省すべき

民進党を名指しにするつもりは無かったのですが、第1次民主党の頃と比べればその劣化が著しい。
元々、政権交代できる健全な野党として民主党は設立されたわけでその時には、自民党、民社党などからも分離して新たな政党が出現したと思ったのですが・・・
現在では、日本共産党よりより劣化して、社会党左派の残滓だけが残った社民党よりも情けないのが今の民進党でしかない。
いまでも、民進党の頼りは、労働組合のが中心の筈ですが、その労働組合からも愛想をつかされている現状では、民進党の存在意義はどこにあるのでしょうか。
今すべきは、国際情勢に対して中道と言うのであれば、安全保障に対して対案を出すくらいの勢いがないと到底健全なる野党と言えないし、政権交代を狙える野党とは言えないのでは何でしょうか。
どこまでも、〇〇が・・・と言っているようでは、世間は呆れてしまうでしょうし。
むしろそうした意味では一貫してそうした政権批判している日本共産党の方が寧ろ筋が通っているようにすら見えてきます。

今こそ、国会議員は、国を守るとということを再認識するべき

国会議員が高い歳費を税金から受け取っているのは、あなたたちに偉そうにしてもらうためではなく、我が国に住む日本国民のためにどれだけの国益を与えられるかということであり、必要以上に時の与党政府を攻撃するだけのものでは無いはずです。
主義主張は違って当然ですが、日本の国会議員が日本人を貶めるような行為が許されるべきなのでしょうか。
韓国人の集会に行って一緒になって日本は悪いという国会議員もいるようですが、敢えて誰とは言いませんが、九州新幹線と同じ名前の議員…なんて正直国益に反しているとしか言えないのではないでしょうか。
私は、考え方の違いは受け入れます、ただし、それはあくまでも、日本国の中での国益を守れる議員であってという前提です。
それが出来ないのであれば、やはり議員としては退場していただくしかないのではないでしょうか?

私の考え方は間違っているでしょうか?

基本政治的なことであっても出来るだけ過激なことは書かないようにしてきましたが、現状の緊迫した政治情勢の中で、あまりにも能天気な行動を取っている野党第一党、これでは本当に健全な日本の政治はおぼつかないと考えます。
今こそ、本当に健全な野党が育つことを心より祈念いたします。
敢えて言えば、日本のこころ、日本維新の会(個人的には日本維新の会の主張には全面的には賛成できない否むしろ反対ではありますが、国益を守るという視点では評価、更には自民党の保守(右派議員)民進党でも旧保守勢力等が結集して、本来の政権交代を担える健全な野党が出現すべきなのではないでしょうか?

加藤好啓の主張

最後までお読みいただきありがとうございました。



栄える町、寂れる町その問題の根源は?

校舎が足りない

これは昔の話ではありません。
現代進行形の問題として、吹田市では、小学生のための校舎が足りないと言う深刻な問題が起こっています。
公団の住宅が建て替えなどで半分を民間に売却、その資金で団地を建て直すため結果的にそうした地域を中心に新しいマンションが建設される。
その結果、新たに開発された地域などでは小学生が急増しているそうです。


既存の校舎では足りないと言う問題が生じているそうです。


反面、地方では人口減少が止まらない地域もあるように聞いています。
あの手この手でIターンorUターンを積極的にしているとのことで、テレビでも放映されていましたが、どこまで定着するのでしょうか。


田舎には田舎の良さがあります。
「豊かな自然」、言い方を変えれば「都会の生活を捨てられる人だけお越しください。」
と言うことになるのでしょうか。

何故都会が選ばれるのか?

地方が疲弊して、都市部の人口がさらに増える状況が加速するのは何故でしょうか?
一言で言えば、「生活に不安があるから。」
これに尽きると思います。
その一番の理由として挙げられるのは、
「医療施設が少ない。特に周産期医療の施設が少ない」
これに尽きるのではないでしょうか。
地方に行けば行くほど、産婦人科自体が少ないと言う問題を聞きます。
小児科の医師が少ないと言った問題も同様で、いくら医療費助成しますと言っても、肝心のそうしたしっかりとした医療機関が無ければ、母親としては安心して子育て出来ないのではないでしょうか。
以前は、都市部は空気が悪いから田舎に移住などと言われたものですが、昨今は大気汚染防止法の浸透などで、半世紀前ころと比べると日本では大気汚染に関する問題は都市部であってもほぼ解消されたと言えるのではないでしょうか。
そうなってくると、人はやはり利便性が高いところを志向するようになると思うのです。


選ばれる町とは?

生活に会って衣食住は当然として、次に来るのは

  1. .交通の利便性
  2. 病院などの身体・生命に直接かかわってくる部分に対する、安全・安心

こうした要素が、大きくなってくると考えます。


例えば、地方都市では車での移動が一般的になってしまい、車でないと生活が出来ない仕組みが出来上がっています。
一家に1台が一人に1台といった状況を考えるとき、車に乗れるうちは良いですが、加齢により運転免許証を返納したりしたら・・・たちまち交通の足を失うことになります。

車がないと生活できない町 西宮市生瀬

ここに、その典型ともいえる新興住宅地がありますのでご紹介したいと思います。

30年程前に生瀬地区に開発された新興住宅地で、若い頃は各自自動車で買い物等に行けたものの高齢化で自信で車を運転することが出来なくなって、交通の足を絶たれてしまう結果となってしまいました。

生瀬高台・宝生ヶ丘・長寿ガ丘・月見山といった新興住宅地は既存のバスがなく、ジャンボタクシーによるコミュニティバスが運行されています。
坂道はきつく、また宝塚駅からもかなり距離がありバイク・車等がないと通勤は非常に困難となっています。
http://guruttonamaze.com/


実際に乗ってみた コミュニティバス

生瀬地区コミュニティバス

画像 阪急タクシー株式会社さんから引用

実は私も取材を兼ねて乗ってみたのですが、10人乗りのジャンボタクシーを阪急タクシーが運営受託として走らせています。
4人で試乗したのですが、途中で乗り降りもあり定員10人のバスが路線によってはほぼ満員になることも。
実際に乗ってみると山を切り開いて作られた町は自動車が走るのにはまだしも、大型バスでは離合どころか通過も困難な地域であり、自家用車等の利用を前提に考えられた町であることが容易に理解できます。
団地の中にはコンビニを含めた商業施設は無くちょっとした買い物でも、宝塚まで出かけなくてはなりませんが、車がなければ外出事態を諦めてしまうと言う地域住民の声もありました。

車社会が万能ではない

生瀬地区を見ていると、確かに車で15分もあれば宝塚まで出る事が出来ますが、車の免許を持たない人はどうなるのでしょうか?
時々、車があれば田舎でも大丈夫と言う人が多くいますが、実際問題として考えるとき車が万能とは言い切れません。
それは、高齢者の免許返納問題と関連してきます。
高齢者で子供と同居しているもしくは、子供が近くに住んでいる場合は、買い物とか定常的に出かけるときに子供の車の乗せてもらうと言ったことも可能ですが、そうでない場合は選択肢はかなり限られてきます。

  1. タクシーを含む公共交通を利用する
  2. 外出そのものを止めてしまう

結局車社会が万能とは言えないという結論が導き出されます。
同じ住むのであれば、公共交通機関も充実している都市部の方が、あらゆるインフラが整っていますので結果的にメリットがあるという皮肉な結果になっているのが現状です。
こうしたことを考えるとき、地方都市が発展するためには、コンパクトシティの構想も大事ですが、既存の居住地とコアになる地域とを如何に結ぶ公共交通の在り方も併せて考えていく必要があるのではないでしょうか。




ある呟き、二つの村の物語

鶏が先か卵が先か?

与えることを是とするか受け取ることを是とするか


先日ふっと思ったことですが、何かの気づきになればと思いここに書き出しておこうと思います。

サービスの本質とは

サービスと言う言葉を聞くと多くの日本人は、無償であるべきだと考えがちではないだろうか。
というか、サービス=無料の概念が出来上がっており、サービスとは無償で与えられて当たり前と思っていることは無いだろうか。
逆に与えられないと、それはおかしいと文句を言っていないだろうか。

こんな発想で思考停止になっていないだろうか?

今の環境が悪いのは、一部の金持ちが富を集中させているからだ、それが悪い・・・もっと分配しろという。
一般的には共産主義的な考え方で言うとブルジョアが富を集中させているためプロレタリアートはどこまでも資本家に搾取され続けている、その富を再配分するためにはもっと資本家から富を収奪すべきであると・・・


それも悪くないと思う。
そうして、本当に経済が回っていくのなら。
でも、どうであろうか。
実際には、取るだけの考え方では経済が回っていくことは無い。
むしろ、経済と言うのはお金を回転させることで、より豊かになっていくと思う。

二つの村の物語

ある村では、受け取ったお金で酒を飲んだりギャンブルで使ってしまいました。
そしてまた、お金が無くなって資産家から無心することを考えました。
最初は嫌々でも払っていた資産家ですが、入ってくるお金以上に持っていかれることでやがて資産家も没落してしまい。
その村は全体が貧しい村となってしまいました。


ある村では、受け取ったお金を基に、自分たちでも商売を始めることにしました。
資産家の人が喜びそうな高級な織物を作って売り出したのです。
とても美味しい、果物を栽培するものも現れました。


資産家たちは、喜んで買ってくれました。
美味しい果物は、継続的に買ってくれるので、村にはお金が回るようになりました。
やがて、村の人が豊かになってくると、更に貧しい人に対して施しを出来るようになりました。
村人の心がより豊かになったからです、今では資産家一人の財産以上に村人全体の財産は多くなり、町全体が豊かになりました。


それを見て、周りの村からも商売したい人が押し寄せて更に商売は発展するのでした。
もちろん、招かざる人も集まってきましたが、それ以上に人が集まってきて…さらに町は発展していくのでした。


よくある経済の基礎に出て来そうなお話ですが、実際に元気な地方とそうでない地方ではこの差が大きいと思うんですね。

地方は自立を考えるべき時期

どうしても東京を中心として、関東圏の横浜市・名古屋市・大阪市は大きな町で、それ以外はさほど大きな都市ではないと思いがちになります。
実際には、福岡市なども大阪市などよりも人口も多く町としては発展していますし、関西圏からだとピンときませんが新潟市も日本海側では最大の都市であることに気付きません。
また、東北であれば仙台も非常に大きな都市です。


言ってみれば、均衡ある街の発展。地方の発展を目指すのであればこうした地域を核とした地方分権化をもっと進めていくべきだと思うんですね。


そうした町は、、「受け取ったお金を基に、自分たちでも商売を始めることにしました」ということを自律的に出来る形が出来上がっているわけですから。
逆に、補助金を頼みにしてしまう、地方都市は申し訳ないですが、「受け取ったお金で酒を飲んだりギャンブルで使ってしまいました。」的な・・・例えばだれも責任をとれない箱モノを作ってしまうと言ったこと・・・。をしていると思うんです。


これからの時代、大切なことは経営感覚であり、自治体と言えどももっとそうした感覚を持つ必要があると思うのは私だけでしょうか。