新たな視点で公共交通のあり方を考えるblog

少子高齢化、コロナ禍などの影響もあり、公共交通のあり方が今大きく問われています。そこで、独自の視点で今後の公共交通はどう有るべきかを考えていきます。

政治家を目指すblackcatこと加藤好啓です。
これからの時代を考える時、地方政治も従来のような指示待ちの姿勢ではなく積極的に地方行政が積極的に住民と一緒により住みやすい町を目指すべきだと考えています。
そこで、まず私自身の考え方を知っていただきたく、こうしてblogで政治的信条や政策を提言させていただく所存でございます。
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大阪市営地下鉄の民営化を考える

大阪市営地下鉄の民営化のメリットデメリット

大阪市営地下鉄に乗り入れる北大阪急行8000系


大阪市営地下鉄が4月から、民営化されるとのことで、発表されました。
社名も大阪メトロ・・・正直このセンスのなさには愕然としたのですが、東京メトロの東京を大阪に代えただけであり、マークも・・・、まぁ、その辺は個人的な感想ですかそれをどうのこうのと言うつもりはありませんけどね。
さて、ここで地下鉄民営化がもたらすメリットとデメリットについて考えてみたいと思います。

大阪メトロロゴ

ちなみに、東京メトロは、下記のようなロゴマーク

東京メトロ

  • メリット
  1.  今までは、交通局という範疇に縛られていて出来なかった、マンション開発など不動産開発を行うことが出来る。
  2. 駅ナカなどの充実が更に進むほか、新たな割引制度等が開発される可能性がある。
  3. さらなるサービス改善が見込まれる
  4. 固定資産税が発生するため、大阪市としては継続的な財源を確保できる。
  • デメリット
  1. 地下鉄の建設には多大の経費を要するため、今後は不採算路線を中心にダイヤの見直しなどが行われる可能性がある。
  2. 現在行われているバスとの乗り継ぎ割引などの制限が行われる可能性がある。(まぁ限りなく可能性は小さいですが)
  3. バス路線等は見直しが行われる可能性が高い。

懸念される点

現時点では、大阪市交通局を民営化しても、株式は引き続き大阪市が持ち続けるとされていますが、大阪市が条例を改正して、株式を売却する事も十分考えられることです。
さらに、大阪市を分割しようとする、大阪都構想によれば実質大阪市が保有する株式を各特別区なりが保有することになった場合、区の財政が厳しいからと言って売却する区が発生しないとも限りません。

現在。公共交通のあり方が今まで以上に議論されるべき時期に来ています。
公共交通機関も、ユニバーサルサービスの一環であるとする考え方に立てば、税金を投入しても守るべきものであるという意見もありますし、バスにしろ地下鉄にしろ、その利用者は沿線半径1km(バスであれば500m)以内でありそれ以外の人にしてみればあまりメリットは無いとなれば、水道や電気・ガス・通信事業と比べてユニバーサルサービスの可能性は高いのかと言われると非常に厳しいものがあると考えます。
メリットを享受する地域と受けられない地域が発生してしまうからです。
細かい検証を行っていないので、その辺は改めて検討すべき部分ではあります。

今後市民が監視すべき事は 

大阪市民が今後監視していくとすれば、大阪市が当初の約束通り、民営化した大阪メトロの株式を売却せずに、大阪市が100%保有する株式会社として存続させるのか、もしくは株式を売却しても筆頭株主として大阪市の影響力を残せるのか問われることになると思われます。
財政が厳しくなったから財源確保のために地下鉄株式を民間に売却しますにならないでしょうか。

国営企業の民営化から考える民営化の意味

ここで、改めて30年以上前に民営化された二つの国営企業、電電公社と国鉄について考えてみたいと思います。
電電公社が一足早い、昭和60(1985)年に民営化し、JRは遅れること2年昭和62(1987)年に民営化されました。
積極的に民営化を推進した電電公社(現・NTT)と反対の旗色を鮮明にしていた国鉄(現・JR)、NTTが組織温存に成功したのに対し、JRは採用に際して多数の解雇者を発生し、また完全民営化(国としては株式を最終的に殆ど保有しない)方針が打ち出され、四国・北海道・貨物以外は上場を果たしました。
国の関与を残せたNTTは、公衆回線網の維持管理の費用として、ユニバーサル料金の導入を認めさせることに成功した反面、JRにあってはローカル線の維持管理については引き続き、内部留保による相互補助という考え方が主流であり、この辺がJR北海道で顕在化している地方鉄道維持の問題です。
ただ、これはJR北海道に限った話では無く、他のJR並びに大手私鉄などでも今後起こりえる話ですし、実際には地方私鉄などではこうした問題が大きな問題となっており、上下分離方式の導入などで路線を生かしていると言う問題があります。
本格的な高齢化社会と言われる時代の中でより効率的に移動できる手段として公共交通がもっと議論されるべき時期に来ているのでは無いでしょうか。

政治家と品格

西宮市長の暴言

西宮市長が読売新聞の記者に暴言を吐いたと言うことで話題になっていますが、これはいかがなものでしょうか。
最年少で議員になって、その後市長になったことでどこかに驕りがあったのでは無いでしょうか。
権力の座というのは時に人を傲慢にするものです、まして首長ともなればその地方自治のトップでありそれなりの識見が求められるはずなのですが・・・。
議員もそうですが、先生と呼ばれて持ち上げられると自分が何かすごく偉くなったような気になるものです。
私自身、警察官をしていたときに当時の教官に言われたことは、警察官も現場に出ると人によってはセンセイと言ってよってくる人もいる。実際に取り締まりを行う等の権力を得ることになる。
そうなると、大概自分が偉いと勘違いして横柄な態度を取る人間がいるが、あくまでも自分に力がある訳では無く、組織の権力を一部借りていることを意識しろと言った類いの言葉を言われました。
そして、その言葉は、私自身郵政省に転職した後も引き続き意識し続けた言葉でした。

首長は地方自治体の顔

首長は、先程も書きましたが地方自治体の顔です。
市長の言動、一挙手、一頭足がその町の顔となるわけです。
若くても、公に徹する市長であれば、市民の尊敬も得られるでしょうが、逆に己の欲に溺れてしまうような首長では市民の尊敬は得られるでしょうか。
首長がはっきりビジョンを示し、痛み分けする部分は明確に示し、その上で協力を求めるのであれば、人は賛同してくれるかもしれません。
昔は、3割自治と言って殆ど国からの委託業務をしてくれば良かったのですが、今は地方自治体と国は対等であり、そうした意味ではその関係も変わってきています。
今求められるのは、国からのお金を当てにするような自治体経営では無く、自ら稼ぐ自治体が求められているのでは無いでしょうか。
そして、そうした経営感覚のある首長が今後さらに必要になってくるのでは無いでしょうか。
地方自治体もそろそろ、顔が見える自治体として脱皮していかないといけない時期に来ていると思います。

聖人君子であれとは言わないが

政治家が聖人君子であれとは言わないですが、少なくとも自分が地方自治体の顔であることは意識していただきたいと思うのです。
その地方の顔であるわけであり、その行動、言動、それらはすべて「公」であると言うべきでしょう。
もちろん、プライベートな時間も必要ですがそこにも一定の縛りは出てくると思います。
例えば公務員であれば、任官するときに「服務の宣誓」というものがあります。
もちろん、議員や首長と行った特別公務員にはこうした宣誓事項はありませんが、少なくとも、自身の心の中にそうした宣誓はしていただきたいものです。
地方自治の首長であれば、例えば、「私は、市長として、地方自治の本旨をよく理解し、公務を民主的且つ能率的に運営する責務を深く自覚し、市民全体の指導者として、誠実且つ公正に職務を執行することを固く誓います。」
と言った服務の宣誓を行い、また市民はそれを監視する・・・それくらいの縛りがあっても良いのではないでしょうか。
首長は、市民の代表であることを意識するためにも必要ではないでしょうか。

首長に限らず政治家に求められるものとは?

自分なりの意見を箇条書きにしてみたいとおもいます。

  1. 政治家としての意識を決めた時点で、その行動は常に多くの方から注目されていると認識すること。【公人にはプライバシー保護と言うものは別の次元】
  2. 謙虚な姿勢、そして常に学ぶ努力ができること。
  3. 思考に偏りが無いこと【逆に極端に偏った思考をしていると、本質を見誤る】
  4. 自分が成果を上げると言った短期的な発想では無く、最低でも10年のスパンで計画を考えられる、俯瞰した意識をもてること
  5. 健康であること

これが、政治家に求められるものではないだろうか。
市会議員であれ、国会議員であれ、首長であれ、政治家は住民の代表であることを意識すべきではないだろうか。
政治家ではなく、政治屋が多すぎると思うのは私だけであろうか?

地方議員と国政と・・・私的に思うこと

国政と地方政治は異なるけれど

 私は、常々国政と地方政治は異なりますと、常々申し上げてきました。
 地方議員がいたずらに、国政の些末な問題に対して、政治家として関与するのは本筋ではないと言うのが私の考え方です。
 例えば、半島情勢と言われるように、朝鮮民主主義共和国の挑発ともとれる行動に対して、一地方議員としての見解をblogで見識を述べることは後に書きますが、IFの覚悟と言うことで、批判はしませんが、マスコミ受けしますからと、モリカケだとか、スパも出て来たとか言って、井戸端会議の話題には丁度いいかもしれないような内容に国会審議の時間を割くような議員と同じように、辻立ちで地方議員がすべきことでしょうか。
そんな時間があれば、もっと時間を割くべきことがあると思います。
 仮に国会議員であれば、もっと半島情勢について考えることも多々あるかと思いますし、地政学とか自分なりに調べたり、教えを乞うと言ったことも必要ではないでしょうか。
 逆にこうしたことは、多少の程度の差はあれ地方議員であっても多少は学ぶべきことも多いのではないでしょうか。
問題解決を図る時、より広い視野で物事を考えることが出来るか、近視眼的にしかものが見えないかで大きく変わってくると思うのです。
だから、地方議員であっても、自分が国会議員であればどうした判断をするのでしょうか、という俯瞰して高い所からものを見る癖をつける必要があると常々思うのです。
地方議員は国政に直接かかわることは難しいかもしれませんが、少なくとも政治家と言う職業である以上は、自分が国政の議員であったら、どう判断するのかとか、件の議員がそのような発言をするのはどういった立ち位置からなのでしょうか・・・と考えてみることも大事ではないでしょうか。

地方議員も国会議員も代表者であることは同じ

地方議員も国会議員も代表者であることは同じ
地方議員であっても住民代表であることには変わりがありません。
皆さんの意見を吸い上げる、もしくは代表者として地方の声を国会議員に伝える、少なくとも政党などに所属していれば、一般に人よりも国会議員などに話を直接できるチャンスは多くなるわけですから。
そんな機会が我々より可能性が多いのであれば、その機会を活かしてもらいたいと思いますし、その逆で、国政での問題点などを上手く聞き出して、それを地方に活かせないかとか、国会議員を使って先進的な取り組みをしている地方を紹介してもらうといったことも可能になってくるのではないでしょうか。
とにかく、政治家は国政、地方を問わず、代表であることを常に意識してもらいたいものです。

常にIFの覚悟が必要ではないでしょうか


議員というのは考えてみれば因果なものです。
当選して、議員と呼ばれる場合は世間から「センセイ」と呼んであがめられますが、落選すればそれこそただの人、下手したらただの人以下かも知れません。
もちろん、弁護士などで議員でなくとも生活していけるだけの道を確保できていればよいですが、そうでない場合はたちまち生活に困ってしまうでしょう。
実際に、そうした議員をまじかで見て来たからよくわかります。
結果的に、議員バッチを持てなくなる(落選する)ことが怖くて、寄らば大樹の陰よろしく、政党に縋りつく、もしくはその時々の選挙で当選しやすそうな政党を渡り歩く、そんな政治家、否、政治屋が多いように思えます。


そうした意味では、政治家はもっと謙虚であるべきだと思います。
先生と言われる言葉の裏に、センセイと半ば軽蔑した言葉もあることも知るべきではないでしょうか。
そして、政治家(ここでいう政治家ではなくなるとは、議員バッチを外して、議員として認められなくなるという意味)で無くなったときにどのように振る舞うのかということも考えておく必要があるのではないでしょうか。
たとえ議員バッチが無くとも政治家としての信念があれば、政策を街角で訴えることはできるはず、バッチが無くても政治家を目指す以上は、そうした、バッチを失ったときはどうするというIFの覚悟は大事だと思うのです。

私自身の覚悟、そして思うこと

長々と書いてきましたが、そろそろ終わりにしようと思います。
私自身、何故政治家になろうなどと思ったのか、ただ単に先生と呼ばれたからかったのではないか、…ただ目立ちたかっただけではないのか等、何度も何度も自問自答しました。
そんな下心が全くなかったかと言えば、そんなことはないと言えるかもしれません。
むしろ、そのようなことはこれっぽっちも思ったことが無いと言うほうが偽善的ではないでしょうか。
そんな風に思ったこともありましたが、何度も何度も思い返して見つけ出した答えは、自分に何ができるでしょうか。そして、何ができないでしょうか?
ということでした。
少なくとも議員になることで、首長に直接意見を伝える機会は圧倒的に増えます。
直談判と言うことではなく、議会を通じて当然のことながら政策を訴えていくこともでき訳です。
市会議員は、昔の世に市長のチェック役だけではなく、市を経営するための役割を担っていくべきではないでしょうか。
市政のチェック役だけではなく、市政を積極的に活性化していくための企画立案して首長に迫っていく、そんな覚悟も地方議員には必要なのではないでしょうか。
地方を経営する、その為の会社で言うところの執行役員のような役割。それが市会議員と言えるのではないでしょうか?

政党に属することが良いのか悪いのか

最後に、政党への加入の有無について私見を述べたいと思います、
地方議員にあっては、政党に所属する必要はない、それは政党に所属することで、議員の応援を得られたるメリットはあるかと思いますが、結局政党の色に染まざるを得ないことになってしまいます。
政治家としての信念があるのであれば、国政はまだしも地方議員は無所属で、自分の熱き思いが政党の中でかき消されてしまわないようにすることが大事でなのではないでしょうか。