新たな視点で公共交通のあり方を考えるblog

少子高齢化、コロナ禍などの影響もあり、公共交通のあり方が今大きく問われています。そこで、独自の視点で今後の公共交通はどう有るべきかを考えていきます。

政治家を目指すblackcatこと加藤好啓です。
これからの時代を考える時、地方政治も従来のような指示待ちの姿勢ではなく積極的に地方行政が積極的に住民と一緒により住みやすい町を目指すべきだと考えています。
そこで、まず私自身の考え方を知っていただきたく、こうしてblogで政治的信条や政策を提言させていただく所存でございます。
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過疎化と鉄道と 2回目(鉄道を残せる町と残せない町)

鉄道が消えれば地図から見えなくなってしまう

鉄道は自ら線路を保有することで、地図上にその線路を表現させることでその存在感を際立たせることが出来たといえましょう。
故に、鉄道が廃止されると地図上から地名も見えなくなってしまって、過疎化が進むという人もいますが・・・実際はどうなのでしょうか。
和歌山県にも二つほど鉄道が無くなった線路がありますが、それほど大きく寂れたとはいえません。
和歌山には、かって三つの鉄道がありました。

  • 有田鉄道
  • 野上電鉄
  • 南海貴志川線がありました。

南海貴志川線は、和歌山電鐵として再生して現在も運営されていますが、上記の二つの鉄道はあっさりと消えてしまいました。


消えた鉄道 野上電鉄 日方~登山口

野上鉄道

消えた鉄道 有田鉄道 藤並~金屋口間

有田鉄道


鉄道というのは、固定経費が大きくかかる反面、道路輸送よりも大きな車両限界と、通過する際は物理的に交差点を封鎖する(踏切)の存在により、高速でかつ大量に物資や人を運ぶことが出来ます。
逆に、その優位性が無くなれば鉄道は衰退せざるを得ないということになります。

町のシンボルとして鉄道を残すということ

鉄道を維持するということは、線路という独自の通路を整備していく必要があり、整備しないとレールは傷むし、徐々に線路というのはせり出していき、乗り心地の悪化や最悪は脱線の憂き目を見ることになります。
道路以上に維持費のかかる鉄道路線を維持していこうと思えば、その目的をはっきりとさせないといけません。
町のシンボルとしての鉄道を残す

  • どうして鉄道を残したいのか?
  • バスなど他の交通機関ではダメなのか?

この点が明確にしないと、何となく残してみました。・・・基金が無くなったので、廃止します。
コンサルタントが残せばこれだけ収益が上がると言われました・・・実際には想定通りに収益が上がりませんでした。
と言うことになりかねないのではないでしょうか。
昨今、成立したIR法案もそうですが、取りあえず作れば儲かる・・・的な安易な発想では、ダメでしょう。
まして、カジノを賭博と言うのであれば、それ以外の公営ギャンブルも含めてどこまでが賭博なのか…明確化しないと。
パチンコも競輪・競馬も・・・カジノは良い賭博で。それ以外は悪い賭博になるのでしょうか。
まぁ、この話は章を改めて考えたいと思います。
さて、鉄道を地元で残すといことは、地元が「どうして鉄道を残したいのか?」という答えを出す必要があります。
誰も特段必要と感じていない、もしくは現時点で重要性を感じていないルートを走っているのであればそれは、公共交通としてはその使命を終えたということになります。
また、「バスなど他の交通機関ではダメなのか?」という問題もクリアしなくてはなりません。
バスは一般の乗り合いバスで40人程度(低床バスは36人程度)であり、観光輸送を行うにはちょっと無理がある、鉄道であれば、現在三江線を走っている軽快気動車級でも112人であり、バスの3倍の輸送力があります。
また、鉄道の場合は大量乗車の場合は連結することも可能であり、その際も別途運転士を必要とするわけではなく一人の運転士で対応可能となります。
すなわち、町に観光地があり。(もしくは開発して観光名所がある)場合は、鉄道により最寄りの観光施設まで鉄道で大量に運ぶことが重要になってきます。
すなわち、バスでは運びきれない観光客を運ぶために鉄道は必要なのだという理論になります。

鉄道を使って地方に来てもらうための工夫を考える

よくローカル鉄道を残すために、「乗って残そう〇〇線」というキャッチフレーズをよく見かけますが、間違いなくこんなこと書いている路線は衰退してしまう。
そうした意味では、貴志川線も「たま駅長」でかろうじて命運は保っているもののもし。「たま」という存在が認知されていなかったら貴志川線は10年目であっさりと廃止の憂き目に逢っていたかもしれません。
むしろ、「乗って残そう・・・」の発想ではなく、「乗ってみたい、行ってみたい。〇〇線」という形にしないといけないと思うんですね。

法華口駅舎


例えば、北条鉄道の法華口駅のパン屋さん「モンファボリ」のように、駅に行くことが一つの目的になる・・・そんな発想も大事なのではないでしょうか。
「その駅に行ってみたい・・・」
そう思わせることが大事かと思います。

法華口駅パン屋さんモンファボリ

上記の話と連動するのですが、例えばすべての駅という訳には行かないでしょうが、いくつかの駅ではこうしたキーになるものがあっても良いと思うのです。
以前、病院(診療所)も駅舎の中に設けてしまうという発想を展開してはどうかとか。
市役所などの支所を駅舎の中に設けて住民票の発行その他の業務は駅で済ませられるようにすると言った発想も大事ではないでしょうか。


それにより余った公有用地は民間に貸し出すなどで資産の有効活用を図るのも一つではないでしょうか。

アニメーションなどとのコラボレーションを考える。

また、そうした話とは別に例えば、町全体を活性化するために注目しているのがアニメーションとのコラボレーションです。
これは、、もしかしたら鉄道が無くても可能かもしれませんが、鉄道があればその風景を絡めることで、さらに全国にアピールしやすくなるのではないでしょうか。


いきなり不真面目なことを言い出してと怒られるかもしれませんが、日本のアニメーションは世界的にも高い評価を得ているのは事実であり、今後はさらにこうしたサブカルチャーの部分で日本をアピールしていくのもありかと思っています。


特に、日本の原風景ともいえる田畑があり、夏にはセミが鳴き・・・と言った風景の中での学園ものストーリーだったりと恋愛ものであったり…それこそ地域の伝承される物語をアニメーションで現在風にアレンジして・・・そうしたことをそれこそ町が積極的に予算を組んでクリエイターを発掘するなんてことも面白いのではないでしょうか。


そのためのアニメーション化は、アニメ制作会社が利益を得ても、それにより観光客が増えれば結果的に町としても潤うということになるかと思います。


最終的に大事なことは地域に人が住んでもらえること

もちろん、そうしたクリエーターの発掘や場合によってはそうした人たちが住める環境なども用意していくと言ったことも将来的には必要になってくるかもしれません。


さらには、これも以前に提唱したのですが。
農業法人による雇用の創出です。
より付加価値の高い農産物などを大学と連携して開発するほか、地元食材を生かした加工品の開発などを積極的に行い、ネット販売や、広島・大阪などの大量消費地での直営店で販売並びに食材を生かした飲食店の経営などを行う。
こうした会社は、役所が主導で行うのではなく、地元もしくは、地元で本店登記された会社に対して固定資産税や法人税の期限を決めた減免措置などを行うなどの間接的は応援にとどめるべきです。
間違っても、役所が直接事業を行うことはしてはなりません。

最後は地元の意識が鉄道を残せるか否かを決める

地域再生コンサルタントが素晴らしい事業プランを持ってきても、アニメーションスタジオが大ヒットするアニメを作成したとしても、最後は地元の人がそれをどう思うかです。
観光客沢山来たけど、煩いだけだし、アニメのことなんかよくわからんから知らんわ・・・なんてなるのか。
知らなくても良いけど、少なくともわざわざ遠方から来てくれる人たちに、「ようお越しくださった」というおもてなしの心を持てるか否かです。


いくら立派な身なりをしていても、その人の人格が無茶苦茶であれば心からの尊敬は得られないのと同義だと思います。


さらに、そこに鉄道というツールがあればさらに多くの人を大量にそうした観光地に運べるだけのベースができるのではないでしょうか。



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