年始に当たって私の抱負
皆様明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
年の初めにあたり、私の政治に対する思いなどを語らせていただこうと思います。
私にとって政治とは
私は、政治家を目指すblog等と言うタイトルで昨年立ち上げさせていただきました。
たのblogも書いていることもあり更新頻度は少なめですが、行動するときはいつも私にとって政治家とは・・・と言うことを常に自問自答しながら行動しております。
政治屋になってはいけない、政治家であれ。
職業としての政治家はとは、どうあるべきなのか。
自身は、政治家に向いているのか。
少なくとも私にとって政治家とは
- 己の欲で行動してはいけない
- 他人の幸せを常に考えられる人であるべき
- 常にコミュニティ内の構成員への幸せを最優先で考えるべき
- 政治家は、常に謙虚であれ
- 己の信念を曲げることをしない
私的には、こうした考え方を基準として考えています。
己の欲で行動してはいけない
人は弱いものです、時には誘惑にも負けてしまうこともあるやもしれません。
しかし、公の立場に立とうと思えば、そこに自我の欲求が入ってきては良い仕事は出来ません。もちろん、そう言っていても人は聖人ではありませんから誤りを犯すかもしれません。
しかし、そうならないように自身を律することも大事なことではないかと常々考えており、また自身の行動指針ともしております。
他人の幸せを常に考えられる人であるべき
これも、上記の話と同じような内容ですが、人は妬むという心を持っています。
「他人の芝生は青い」と思うことはよくあることです。
でも、そうした妬みを政治家が持ってしまってはどうでしょうか。
我欲に走ってしまって、地域住民のための政策なりが出来るでしょうか。
まず、自分の欲望よりも家族の幸せを、公人であるならばさらに、広げて市民の幸せを常に考え行動することが必要なのではないでしょうか。
常にコミュニティ内の構成員への幸せを最優先で考えるべき
先ほど書いたよいうに、「市民の幸せ」を政治家が考えてあげないと誰が変えるのでしょうか。
困った人がいるからこそ、政治の力で変えていくべきなんです。
ただ、構成員への幸せを最優先に考えていきますが、単純なバラマキ政治ではなく、安定的な雇用などを含めたものを目指すべきだと考えております。
政治家は、常に謙虚であれ
そして、再び自身の問題に戻るのですが、政治家は常に謙虚であるべきと考えています。
ややもすると、政治家は「センセイ」と呼ばれてついつい天狗になってしまい、自分が権力者のように勘違いしてしまうことがあります。
有権者によってえらばれた政治家は、一時的に権力を与えられているにすぎませんから、政治家はもっと謙虚であるべきではないでしょうか。
己の信念を曲げることをしない
世の中は、中々思うようには行かないものであり、時には妥協すべきところも出てきたりしますが、妥協する場合でも己の信念を曲げてしまうことは良くないと考えます。
一部妥協する場合でも、己の信念に照らし合わせて許容できる範囲なのか否なのか。
己の信念を曲げてまでも妥協するべきではないと言うのが私の考え方です。
以上簡単に私の思いを書かせていただきました。
ただ、皆様から見て、私は「政治家」としてはどうなのでしょうか。
見射ていないよと言われれば、政治家になろうと言うのを止めます・・・。
なんて、言うわけないですよ。
むしろ、こんな筋を通そうという頑固者を信じてくださいね、と皆様に訴えさせていただきます。
私自身は、地方から日本を変えたいと思っています。
どうか、これから積極的に政策提言等をここで書いていきますのでどうかよろしくお願いいたします。
加藤好啓