政治とは誰のためのものか?
民進党離れが止まらない?
都議会選挙をにらみ、民進党かを離党して都民ファーストの会の推薦を受けようという動きがあり、また党勢拡大を狙う都民ファーストの会もそうした無所属候補の議員も推薦しようという動きがあるようだが・・・
彼らは、どうしてそこまで議員にこだわるのか。
やはり、高額の報酬なのだろうか。
こうしたいわゆる、蝙蝠のような政治家と言うのはどこにも、どの時代にも存在するが、概ね大成しない。
政界を渡り歩くのはなぜ?
彼らの考え方は、政治を自分の生活の手段と考えているからではないだろうか。
だから、必要以上に議員に拘る。
民進党がダメだから、今度は都民ファーストの会に行こう・・・これは実は同じ流れが日本維新でもあった、特に「大阪維新の会」と呼ばれていた時期、橋本徹人気から、自民党から大阪維新に所属替えする議員があった他、維新ブームと橋本人気で、「大阪維新」もしくはそれらしき名前を名乗るだけで当選してしまう…そんな議員が大量に生まれてしまった。
当時の大阪維新の議員のレベルは本当に酷いもので、ドーナツ現象や、夜間人口と言った意味も理解しえず、市役所の職員が呆れたという話も少なからず聞いたものだ。
政治家になれば、取りあえず高額の歳費がある・・・そんな見識も低いままではいけない。
裏切者は何度でも裏切る
少なくとも、そうした政界を渡り歩くような人は結局は権力を得たいだけ、小池百合子氏だって元はと言えば政界ロンダリングしてきた筆頭格であり、今回も単に石原慎太郎氏が嫌いからスタートしたようなもの。
今回過半数取れても、都民ファーストの会自体が反自民の受け皿でしかないのであれば所詮はその程度で終わってしまうだろう。
そうした意味では、「都民ファーストの会」が「都民ファウストの会」にならないように都民そして、都民以外もしっかりと見据える必要があるのではないだろうか。
東京を失速させてはいけない
東京は何だかんだと言っても、日本の首都であり少なくとも東京は地方に在っては一つの指標であるべきだと考えています。
昨年東京都知事選をお手伝いさせていただいたときは、東京都知事選挙で東京は「地方のベンチマーク」であるべきだと考えていました。(私が選挙に出るわけではないので私が主張することはできませんが、東京都知事選を一言で総括するならばそうした仕組みを作れる人を選ぶべきだと言うのが私の考えでした。)
都議選、かなりの元民進党議員が都民ファーストの推薦を受けたりして立候補するかもしれませんが、政治を自分の生活の手段と考えている人々を選ぶのが、自身にとって良いことなのか今一度考えて欲しいのです。
東京を本当に元気に出来る、そうした純粋に思う人たちを政界に送り出すべきではないでしょうか。