新たな視点で公共交通のあり方を考えるblog

少子高齢化、コロナ禍などの影響もあり、公共交通のあり方が今大きく問われています。そこで、独自の視点で今後の公共交通はどう有るべきかを考えていきます。

政治家を目指すblackcatこと加藤好啓です。
これからの時代を考える時、地方政治も従来のような指示待ちの姿勢ではなく積極的に地方行政が積極的に住民と一緒により住みやすい町を目指すべきだと考えています。
そこで、まず私自身の考え方を知っていただきたく、こうしてblogで政治的信条や政策を提言させていただく所存でございます。
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政治家と品格

西宮市長の暴言

西宮市長が読売新聞の記者に暴言を吐いたと言うことで話題になっていますが、これはいかがなものでしょうか。
最年少で議員になって、その後市長になったことでどこかに驕りがあったのでは無いでしょうか。
権力の座というのは時に人を傲慢にするものです、まして首長ともなればその地方自治のトップでありそれなりの識見が求められるはずなのですが・・・。
議員もそうですが、先生と呼ばれて持ち上げられると自分が何かすごく偉くなったような気になるものです。
私自身、警察官をしていたときに当時の教官に言われたことは、警察官も現場に出ると人によってはセンセイと言ってよってくる人もいる。実際に取り締まりを行う等の権力を得ることになる。
そうなると、大概自分が偉いと勘違いして横柄な態度を取る人間がいるが、あくまでも自分に力がある訳では無く、組織の権力を一部借りていることを意識しろと言った類いの言葉を言われました。
そして、その言葉は、私自身郵政省に転職した後も引き続き意識し続けた言葉でした。

首長は地方自治体の顔

首長は、先程も書きましたが地方自治体の顔です。
市長の言動、一挙手、一頭足がその町の顔となるわけです。
若くても、公に徹する市長であれば、市民の尊敬も得られるでしょうが、逆に己の欲に溺れてしまうような首長では市民の尊敬は得られるでしょうか。
首長がはっきりビジョンを示し、痛み分けする部分は明確に示し、その上で協力を求めるのであれば、人は賛同してくれるかもしれません。
昔は、3割自治と言って殆ど国からの委託業務をしてくれば良かったのですが、今は地方自治体と国は対等であり、そうした意味ではその関係も変わってきています。
今求められるのは、国からのお金を当てにするような自治体経営では無く、自ら稼ぐ自治体が求められているのでは無いでしょうか。
そして、そうした経営感覚のある首長が今後さらに必要になってくるのでは無いでしょうか。
地方自治体もそろそろ、顔が見える自治体として脱皮していかないといけない時期に来ていると思います。

聖人君子であれとは言わないが

政治家が聖人君子であれとは言わないですが、少なくとも自分が地方自治体の顔であることは意識していただきたいと思うのです。
その地方の顔であるわけであり、その行動、言動、それらはすべて「公」であると言うべきでしょう。
もちろん、プライベートな時間も必要ですがそこにも一定の縛りは出てくると思います。
例えば公務員であれば、任官するときに「服務の宣誓」というものがあります。
もちろん、議員や首長と行った特別公務員にはこうした宣誓事項はありませんが、少なくとも、自身の心の中にそうした宣誓はしていただきたいものです。
地方自治の首長であれば、例えば、「私は、市長として、地方自治の本旨をよく理解し、公務を民主的且つ能率的に運営する責務を深く自覚し、市民全体の指導者として、誠実且つ公正に職務を執行することを固く誓います。」
と言った服務の宣誓を行い、また市民はそれを監視する・・・それくらいの縛りがあっても良いのではないでしょうか。
首長は、市民の代表であることを意識するためにも必要ではないでしょうか。

首長に限らず政治家に求められるものとは?

自分なりの意見を箇条書きにしてみたいとおもいます。

  1. 政治家としての意識を決めた時点で、その行動は常に多くの方から注目されていると認識すること。【公人にはプライバシー保護と言うものは別の次元】
  2. 謙虚な姿勢、そして常に学ぶ努力ができること。
  3. 思考に偏りが無いこと【逆に極端に偏った思考をしていると、本質を見誤る】
  4. 自分が成果を上げると言った短期的な発想では無く、最低でも10年のスパンで計画を考えられる、俯瞰した意識をもてること
  5. 健康であること

これが、政治家に求められるものではないだろうか。
市会議員であれ、国会議員であれ、首長であれ、政治家は住民の代表であることを意識すべきではないだろうか。
政治家ではなく、政治屋が多すぎると思うのは私だけであろうか?

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