政治家を目指す加藤好啓のblog

政治家を目指すblackcatこと加藤好啓です。
これからの時代を考える時、地方政治も従来のような指示待ちの姿勢ではなく積極的に地方行政が積極的に住民と一緒により住みやすい町を目指すべきだと考えています。
そこで、まず私自身の考え方を知っていただきたく、こうしてblogで政治的信条や政策を提言させていただく所存でございます。
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政治家と品格

西宮市長の暴言

西宮市長が読売新聞の記者に暴言を吐いたと言うことで話題になっていますが、これはいかがなものでしょうか。
最年少で議員になって、その後市長になったことでどこかに驕りがあったのでは無いでしょうか。
権力の座というのは時に人を傲慢にするものです、まして首長ともなればその地方自治のトップでありそれなりの識見が求められるはずなのですが・・・。
議員もそうですが、先生と呼ばれて持ち上げられると自分が何かすごく偉くなったような気になるものです。
私自身、警察官をしていたときに当時の教官に言われたことは、警察官も現場に出ると人によってはセンセイと言ってよってくる人もいる。実際に取り締まりを行う等の権力を得ることになる。
そうなると、大概自分が偉いと勘違いして横柄な態度を取る人間がいるが、あくまでも自分に力がある訳では無く、組織の権力を一部借りていることを意識しろと言った類いの言葉を言われました。
そして、その言葉は、私自身郵政省に転職した後も引き続き意識し続けた言葉でした。

首長は地方自治体の顔

首長は、先程も書きましたが地方自治体の顔です。
市長の言動、一挙手、一頭足がその町の顔となるわけです。
若くても、公に徹する市長であれば、市民の尊敬も得られるでしょうが、逆に己の欲に溺れてしまうような首長では市民の尊敬は得られるでしょうか。
首長がはっきりビジョンを示し、痛み分けする部分は明確に示し、その上で協力を求めるのであれば、人は賛同してくれるかもしれません。
昔は、3割自治と言って殆ど国からの委託業務をしてくれば良かったのですが、今は地方自治体と国は対等であり、そうした意味ではその関係も変わってきています。
今求められるのは、国からのお金を当てにするような自治体経営では無く、自ら稼ぐ自治体が求められているのでは無いでしょうか。
そして、そうした経営感覚のある首長が今後さらに必要になってくるのでは無いでしょうか。
地方自治体もそろそろ、顔が見える自治体として脱皮していかないといけない時期に来ていると思います。

聖人君子であれとは言わないが

政治家が聖人君子であれとは言わないですが、少なくとも自分が地方自治体の顔であることは意識していただきたいと思うのです。
その地方の顔であるわけであり、その行動、言動、それらはすべて「公」であると言うべきでしょう。
もちろん、プライベートな時間も必要ですがそこにも一定の縛りは出てくると思います。
例えば公務員であれば、任官するときに「服務の宣誓」というものがあります。
もちろん、議員や首長と行った特別公務員にはこうした宣誓事項はありませんが、少なくとも、自身の心の中にそうした宣誓はしていただきたいものです。
地方自治の首長であれば、例えば、「私は、市長として、地方自治の本旨をよく理解し、公務を民主的且つ能率的に運営する責務を深く自覚し、市民全体の指導者として、誠実且つ公正に職務を執行することを固く誓います。」
と言った服務の宣誓を行い、また市民はそれを監視する・・・それくらいの縛りがあっても良いのではないでしょうか。
首長は、市民の代表であることを意識するためにも必要ではないでしょうか。

首長に限らず政治家に求められるものとは?

自分なりの意見を箇条書きにしてみたいとおもいます。

  1. 政治家としての意識を決めた時点で、その行動は常に多くの方から注目されていると認識すること。【公人にはプライバシー保護と言うものは別の次元】
  2. 謙虚な姿勢、そして常に学ぶ努力ができること。
  3. 思考に偏りが無いこと【逆に極端に偏った思考をしていると、本質を見誤る】
  4. 自分が成果を上げると言った短期的な発想では無く、最低でも10年のスパンで計画を考えられる、俯瞰した意識をもてること
  5. 健康であること

これが、政治家に求められるものではないだろうか。
市会議員であれ、国会議員であれ、首長であれ、政治家は住民の代表であることを意識すべきではないだろうか。
政治家ではなく、政治屋が多すぎると思うのは私だけであろうか?


地方議員と国政と・・・私的に思うこと

国政と地方政治は異なるけれど

 私は、常々国政と地方政治は異なりますと、常々申し上げてきました。
 地方議員がいたずらに、国政の些末な問題に対して、政治家として関与するのは本筋ではないと言うのが私の考え方です。
 例えば、半島情勢と言われるように、朝鮮民主主義共和国の挑発ともとれる行動に対して、一地方議員としての見解をblogで見識を述べることは後に書きますが、IFの覚悟と言うことで、批判はしませんが、マスコミ受けしますからと、モリカケだとか、スパも出て来たとか言って、井戸端会議の話題には丁度いいかもしれないような内容に国会審議の時間を割くような議員と同じように、辻立ちで地方議員がすべきことでしょうか。
そんな時間があれば、もっと時間を割くべきことがあると思います。
 仮に国会議員であれば、もっと半島情勢について考えることも多々あるかと思いますし、地政学とか自分なりに調べたり、教えを乞うと言ったことも必要ではないでしょうか。
 逆にこうしたことは、多少の程度の差はあれ地方議員であっても多少は学ぶべきことも多いのではないでしょうか。
問題解決を図る時、より広い視野で物事を考えることが出来るか、近視眼的にしかものが見えないかで大きく変わってくると思うのです。
だから、地方議員であっても、自分が国会議員であればどうした判断をするのでしょうか、という俯瞰して高い所からものを見る癖をつける必要があると常々思うのです。
地方議員は国政に直接かかわることは難しいかもしれませんが、少なくとも政治家と言う職業である以上は、自分が国政の議員であったら、どう判断するのかとか、件の議員がそのような発言をするのはどういった立ち位置からなのでしょうか・・・と考えてみることも大事ではないでしょうか。

地方議員も国会議員も代表者であることは同じ

地方議員も国会議員も代表者であることは同じ
地方議員であっても住民代表であることには変わりがありません。
皆さんの意見を吸い上げる、もしくは代表者として地方の声を国会議員に伝える、少なくとも政党などに所属していれば、一般に人よりも国会議員などに話を直接できるチャンスは多くなるわけですから。
そんな機会が我々より可能性が多いのであれば、その機会を活かしてもらいたいと思いますし、その逆で、国政での問題点などを上手く聞き出して、それを地方に活かせないかとか、国会議員を使って先進的な取り組みをしている地方を紹介してもらうといったことも可能になってくるのではないでしょうか。
とにかく、政治家は国政、地方を問わず、代表であることを常に意識してもらいたいものです。

常にIFの覚悟が必要ではないでしょうか


議員というのは考えてみれば因果なものです。
当選して、議員と呼ばれる場合は世間から「センセイ」と呼んであがめられますが、落選すればそれこそただの人、下手したらただの人以下かも知れません。
もちろん、弁護士などで議員でなくとも生活していけるだけの道を確保できていればよいですが、そうでない場合はたちまち生活に困ってしまうでしょう。
実際に、そうした議員をまじかで見て来たからよくわかります。
結果的に、議員バッチを持てなくなる(落選する)ことが怖くて、寄らば大樹の陰よろしく、政党に縋りつく、もしくはその時々の選挙で当選しやすそうな政党を渡り歩く、そんな政治家、否、政治屋が多いように思えます。


そうした意味では、政治家はもっと謙虚であるべきだと思います。
先生と言われる言葉の裏に、センセイと半ば軽蔑した言葉もあることも知るべきではないでしょうか。
そして、政治家(ここでいう政治家ではなくなるとは、議員バッチを外して、議員として認められなくなるという意味)で無くなったときにどのように振る舞うのかということも考えておく必要があるのではないでしょうか。
たとえ議員バッチが無くとも政治家としての信念があれば、政策を街角で訴えることはできるはず、バッチが無くても政治家を目指す以上は、そうした、バッチを失ったときはどうするというIFの覚悟は大事だと思うのです。

私自身の覚悟、そして思うこと

長々と書いてきましたが、そろそろ終わりにしようと思います。
私自身、何故政治家になろうなどと思ったのか、ただ単に先生と呼ばれたからかったのではないか、…ただ目立ちたかっただけではないのか等、何度も何度も自問自答しました。
そんな下心が全くなかったかと言えば、そんなことはないと言えるかもしれません。
むしろ、そのようなことはこれっぽっちも思ったことが無いと言うほうが偽善的ではないでしょうか。
そんな風に思ったこともありましたが、何度も何度も思い返して見つけ出した答えは、自分に何ができるでしょうか。そして、何ができないでしょうか?
ということでした。
少なくとも議員になることで、首長に直接意見を伝える機会は圧倒的に増えます。
直談判と言うことではなく、議会を通じて当然のことながら政策を訴えていくこともでき訳です。
市会議員は、昔の世に市長のチェック役だけではなく、市を経営するための役割を担っていくべきではないでしょうか。
市政のチェック役だけではなく、市政を積極的に活性化していくための企画立案して首長に迫っていく、そんな覚悟も地方議員には必要なのではないでしょうか。
地方を経営する、その為の会社で言うところの執行役員のような役割。それが市会議員と言えるのではないでしょうか?

政党に属することが良いのか悪いのか

最後に、政党への加入の有無について私見を述べたいと思います、
地方議員にあっては、政党に所属する必要はない、それは政党に所属することで、議員の応援を得られたるメリットはあるかと思いますが、結局政党の色に染まざるを得ないことになってしまいます。
政治家としての信念があるのであれば、国政はまだしも地方議員は無所属で、自分の熱き思いが政党の中でかき消されてしまわないようにすることが大事でなのではないでしょうか。


じっくり考えて、反省したこと

先日、迷っています?と言った書き込みをさせていただいたところ、
SNSで多くの方からご意見をいただきました。
そして、私なりにじっくりと考えてみました。


私自身が、結果的に現実逃避していたのではないかと言う結論に達しました。
心がふらついていました。
今すべきこと、なすべきこと。
あえて、前の記事も削除はしません。


恥ずかしい事、失敗したこと。
それもすべて残しておこうと思います。
もちろん、削除することも簡単ですが。
自分自身の過ちを残しておいて、迷ったときに再び見ることで、自身の戒めとするために残しておくこととします。
直接和歌山県であったり、和歌山市という論点よりももっと身近な視点で政治の問題を拾っていこうと思います。
逆に言えば、地方の問題というのはどこにも共通項があるからです。
吹田市であっても、高齢化の問題やシャッター街の問題点はあります。
高齢化に対してどのように対応していくのかという問題もあります。
更に、実は吹田市と豊中市は、日本初のニュータウンゆえの世代交代の問題が潜在化して残されています。
日本最初のニュータウンゆえの問題、ニュータウンの世代交代をどうするのか。
もちろん、これは市会議員レベルでどうにかなる話ではないですが、そうしたことを研究していくと言うことも大事なことなのではないかと改めて思った次第。
実際にそう考えると、今度は市町村レベルで取り組むべき政策も見えてくるような気がしてきたのです。
私自身が、若いころ郵政局時代にそうした考え方をしていたのに、すっかり忘れていたなぁと思いなおしたのです。
大きな問題、包括的な問題を俯瞰して眺めてから。徐々にそのターゲット絞っていく。
いつも、そんな風にして問題解決を図っていたのですが・・・すっかり忘れていました。


実は、先日正直悩んでいますといblogを書いたのは。
広島に行った際に、昨年お会いして知り合いになったAさん、自分の息子ほどの年齢なんですけど、市会議員や市長選挙にも出馬したとのことで、選挙に関しては私より先輩。笑


その方に、言われたんです。
選挙に出る、若いうちは勢いで立候補もありでしょうけれど、ある程度年齢を重ねてくると、きちんとした政策とか打ち出せないと難しいでしょうと。


「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」


ではないですが、そう言われて自問自答していたんですね。
本当に自分は、政治家になりたいんだろうか?
和歌山で、それとも・・・と思っている時点で、本当は何となく政治家になりたいだけなんじゃなかろうか。
実は政策も何もないのじゃないだろうか・・・みたいなことを考えてしまってわけです。


Facebookで、Iさん、Yさんにコメント貰って、はっと気づいたんですね。
今すべきことをしていなかったと、改めて思ったのです。
ということで、いろいろとお騒がせしたことをお詫び申し上げるとともに、迷いも吹っ切れたことを改めて報告させていただきます。