政治家を目指す加藤好啓のblog

政治家を目指すblackcatこと加藤好啓です。
これからの時代を考える時、地方政治も従来のような指示待ちの姿勢ではなく積極的に地方行政が積極的に住民と一緒により住みやすい町を目指すべきだと考えています。
そこで、まず私自身の考え方を知っていただきたく、こうしてblogで政治的信条や政策を提言させていただく所存でございます。
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じっくり考えて、反省したこと

先日、迷っています?と言った書き込みをさせていただいたところ、
SNSで多くの方からご意見をいただきました。
そして、私なりにじっくりと考えてみました。


私自身が、結果的に現実逃避していたのではないかと言う結論に達しました。
心がふらついていました。
今すべきこと、なすべきこと。
あえて、前の記事も削除はしません。


恥ずかしい事、失敗したこと。
それもすべて残しておこうと思います。
もちろん、削除することも簡単ですが。
自分自身の過ちを残しておいて、迷ったときに再び見ることで、自身の戒めとするために残しておくこととします。
直接和歌山県であったり、和歌山市という論点よりももっと身近な視点で政治の問題を拾っていこうと思います。
逆に言えば、地方の問題というのはどこにも共通項があるからです。
吹田市であっても、高齢化の問題やシャッター街の問題点はあります。
高齢化に対してどのように対応していくのかという問題もあります。
更に、実は吹田市と豊中市は、日本初のニュータウンゆえの世代交代の問題が潜在化して残されています。
日本最初のニュータウンゆえの問題、ニュータウンの世代交代をどうするのか。
もちろん、これは市会議員レベルでどうにかなる話ではないですが、そうしたことを研究していくと言うことも大事なことなのではないかと改めて思った次第。
実際にそう考えると、今度は市町村レベルで取り組むべき政策も見えてくるような気がしてきたのです。
私自身が、若いころ郵政局時代にそうした考え方をしていたのに、すっかり忘れていたなぁと思いなおしたのです。
大きな問題、包括的な問題を俯瞰して眺めてから。徐々にそのターゲット絞っていく。
いつも、そんな風にして問題解決を図っていたのですが・・・すっかり忘れていました。


実は、先日正直悩んでいますといblogを書いたのは。
広島に行った際に、昨年お会いして知り合いになったAさん、自分の息子ほどの年齢なんですけど、市会議員や市長選挙にも出馬したとのことで、選挙に関しては私より先輩。笑


その方に、言われたんです。
選挙に出る、若いうちは勢いで立候補もありでしょうけれど、ある程度年齢を重ねてくると、きちんとした政策とか打ち出せないと難しいでしょうと。


「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」


ではないですが、そう言われて自問自答していたんですね。
本当に自分は、政治家になりたいんだろうか?
和歌山で、それとも・・・と思っている時点で、本当は何となく政治家になりたいだけなんじゃなかろうか。
実は政策も何もないのじゃないだろうか・・・みたいなことを考えてしまってわけです。


Facebookで、Iさん、Yさんにコメント貰って、はっと気づいたんですね。
今すべきことをしていなかったと、改めて思ったのです。
ということで、いろいろとお騒がせしたことをお詫び申し上げるとともに、迷いも吹っ切れたことを改めて報告させていただきます。


正直迷っています。

素直な今の気持ちです。

皆さまこんばんは、私は政治家を目指す。
特に地方政治家からスタートさせようとして、こうしたblogを書き始めました。
そして、最初は吹田市から出馬しようと漠然と思っていたのですが・・・。
時々墓参りに和歌山に帰るのですが、その都度感じる和歌山市の衰退。
これを見ていると、自分としては吹田市で手を上げるよりも、地元和歌山市からの方が良いのではないかと思う気持ちが強くなりました。
和歌山市も、吹田市も再来年の4月ですので正直1年半を割りましたので、そろそろ運動を開始しないと厳しいだろうなと言うのはよくわかっています。
そして、「和歌山市を変えたい、もっと活気ある街にしたい」…そういう思いはあるのです、しかし、和歌山市の現状を考えれば、問題が大きすぎること、地方都市独特のしがらみがあること。
まぁ、しがらみは、市会議員レベルだとどこでもありますから、政策よりも人間関係ということで仕方がないのかなとも思っています。
ただ、和歌山市を出てから10年近く離れている今となっては、自身が市会議員に立候補してもなかなか理解してもらえないかなと言う気持ちもあるんです。


どうしても、今は地元に住んでいませんので厳しいかなぁという気持ちもあります。
逆に、現在住んでいる吹田市は、人口はどちらかと言えば増えている反面、高齢者が多い地域とそうでない地域の落差や、人口が急増して待機児童問題を抱える地域がある他、千里ニュータウンの世代交代問題。
そうした点をどのように着地させるのか。
そうして意味では、和歌山市の問題点とはまた違った問題点を多々内包していることも見えてきます。


本当はこんなことをここに書くべきではないのでしょうが。
和歌山市につき1回か2回帰って駅前でビラ配りなどをするのが良いのか、地元の駅でビラ配りをするのが良いのか・・・。
正直、迷っている。
それが現状です・・・。


まぁ、年内には答えを出そうと思っていますが、未だに悩んでいます。
お恥ずかしい話を敢えてさせていただきました。



議員と言葉の重さ 足立議員の発言を見て

議員の質は低下していないか?


私自身は、このblog以外にもいくつかblogを書いているのだが、その一つに国会議事録をみて、多少の解説を付け加えると言ったことをしているのですが、考えてみれば良い時代になりましたよね。


過去の国会議事録などもその気になれば簡単に自宅に居ながら読むことができるわけです。(参考 気が向けばご覧くださいませ)


私が読み込んでいるのは、主に鉄道とか交通に関する議事録なのですが、そうして読んでいますと、議員と官僚の駆け引きといいますか、綱引きが中々見ていると面白いのです。


そう考えると、最近の国会議員は全体に小粒というか昔の議員よりもスケールが小さくなったのかなと思ってしまうんですね。
国会議員を含め、議員は公人ですから、ここで批判されても問題はないと思います。
それは、政党日本維新、足立議員の件

マスコミに喧嘩する人が本当に国益を守れるのでしょうか?

件の発言について朝日新聞が社説で、反論しています。
個人的には、朝日新聞の論調は私としては合わないのですが、足立議員はこの件に限らず、こうした発言でよく物議をかもしており、今回が初めてではありません。

何方かというと、確信犯ではないかと思うことが多々あるのですが、国会議員としての資質とした見た場合どうなのでしょうか?
いやしくも、国会議員というのは国民の代表であり、国益(国外に向けての国益だけでなく、地方にあっても同様、国民生活全体の向上のために尽くすべき)のために働くことが本分だと思うのですが。こうして、マスコミなどにも喧嘩を売るような人を議員と呼んでよいものでしょうか?
まぁ、支持者からすれば朝日新聞が悪いから・・・と言う意見があるかもしれません。
しかし、少なくとも社会の公器であるマスコミ(一部ではマスゴミと言った言い方をしている人もいますが、少なくともマスコミが新聞記事などで発表するから、それを受けてTwitter等で発信したりできるわけですから、仮に本当にマスコミが無かったらまとめニュースなども発行できなくなってしまうでしょう。)に対して、過激な言葉で罵ってよいものでしょうか。
仮に、市井の人が町の噂話程度で、某新聞社は怪しからん。廃刊すべき・・・といったレベルと違う訳ですよ。

議員という名の責任の重さ

国会議員というのは、先ほども申し上げたように、国民の代表です。
その国民の代表であるからこそ、若くても先生と崇められて、それ相応の特権を与えられている訳です。
逆に言えばそうした特権を与えられている以上、多少の制限はかかるとしても法令的解釈の上でも反論は無いでしょう。
議員である以上、少なくとも、一挙手一投足は国民から常に監視されていることを意識すべきでしょう。
ただ、気になるのはこうした問題行動に際して、日本維新から何も言わない事の方がさらに気になります。
日本維新の代表でもある、松井知事からは特段の発言もないのは、何故でしょう?
日本維新という政党自体が、問題行動を起こす議員たいして注意すると言うことすらしないのでしょうか。

放置することは、自らのブランドを落とす

どんなことでもそうですが、最近の自動車会社の不正問題などでもそうですが、小さな問題を放置したままで結局より大きな問題に発展すると言うことが多々起こっています。
足立議員のこうした放言は、いわば政党のインシデント(事故などの危難が発生するおそれのある事態)だと思うのですが、これに対して政党としては何もしないと言うのはどうでしょうか。
結局、身を切る改革というのであれば、本当に改革に足を引っ張るような議員に対して注意すると言ったことができない政党は結局国民の信頼すら失ってしまうのではないでしょうか。